20歳からしつこいくらい、思っていたこと。
「後悔は死んだ時だけ」
今気づいたことや感じたことは、今気づかなければずっと気づかないままでいたかもしれない。 だからいつも、気づいた今を大切に、反省していくことが大切だって。
唯一の例外、死んだ時はこれから変えていくことも生き返ることも出来ないから「たられば」を思ったり後悔してもいいんじゃないかって思っていました。 変えられないけど、変えてやりたいほど相手を想っていられることなのかなって。
そういう想いをこめたこの言葉は自分の唯一の大切な逃げ道であると同時に、自分を奮い立たせるためのおまじないのように使ってきて、思い込んできたんだけど…
だから「後悔しないようにね」なんて労いの言葉も基本的に僕には無意味でした(笑) 気づいた瞬間や結果っていうのはスタートだったりステップだったりするから。 変に考え過ぎたりマイペースだったりするのもそのせいかもしれない…
でも先日祖母が亡くなった時のことを振り返ってみたら、 一体何を悔やむことがあったのだろうって。 きっと幸せな最期を迎えられたと思うし、そう思えるように家族は頑張ってきて。 それに対して、…全部かな、祖母の死に対して何か「後悔」があるとしたらとんでもなく失礼でしょ…? この瞬間に誰が後悔するのだろう。
そう思うと後悔をする時ってどんな時だろう?
本当の後悔ってしたことあるのかな? もっともっとすごい言葉なんじゃないだろうか?
生きていて、たくさん気づいていて、たくさん反省しているのに、 変えられない今を生きなくてはならないこと…なのかな?
誰かが死ぬとかそういった一方的な終わりがある時に感じるものではなくて、 変な言い方だけど、気づいたこと自体が終わりっていうか、 むしろ生きているからこそ、気づいたからこその平行線があったとすれば、
それは後悔…なのかな?
区別がつかなくなったら崩れちゃうかな? 逃げ道変わりそうで怖いんだけど(笑)
思い込んで7年目…
わかんなくなっちゃった。
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