9.11以降の感じた情報と自分の感覚のズレ、東北大震災を経て。 出会った本、『「当事者」の時代』 ブログには書いていなかったのですが、ブクログにレビューをしてました。
以下ブクログより。 書評については検索すれば、沢山の方がわかりやすくまとめを書かれています。
皆さんがおっしゃるように、最後まで読まないといけないとおもいます。私自身は終章に書かれていた「完全な<加害者>でもなく、完全な<被害者>でもなく、その間の宙ぶらりんのグレーな状態」という箇所が印象的。これはメディアの空間に足を踏み入れる人たちというのが、ほとんどの人のことを指すのではないかと思うからです。
当事者になれないというのではなく、グレーな域の中に各人が立つその無数の点がその人が当事者である場所なのではないでしょうか。
登録日:2012年03月27日
なんかスッキリしたのを覚えています。
その頃から参考にするようになった方たち。
池上彰
彼らの中での答えはきっと決まっている。ですがそうじゃない人にも届くような言葉を選んでいると思います。
これは僕の思い込みですが、活字の怖さを知っていると思うんです。
面識もないし遠い存在でありながら、ポンと自分の現在地を見つめさせてくれるような、身近な人と話しているような感覚で受け止めることができる気がします。
だから逆に絶対ではないんです。いい距離感だと良いことも悪いことも、そばにいられる。割とフラットに見ていられるんです。
僕が表現者とし学ばなければいけないこと。
どうやったらグレーという幅のある色を、いろんなグレーを「色」として存在させるにはってずっと考えてます。
「大体真ん中らへん」にいたいと思う僕は、当たり障りのない人間になりたいわけじゃなくて、 それでもいいけど、フットワーク軽く色んな方向に動ける場所にいたいとか、それぐらいのスタンスは落ち着いて反対側を見ることができると思っています。(僕の場合ですよ)
主張でも表現でも、行ききったところが答えかはわからない。
軸と幅についてはちょこちょこ書いていますが、僕らは色んな「点」。地球を丸くするには点と点を結んで「線」に。
為末大さんのウェブサイトにて。最近共感を得る記事が多いです。
そしてこれは今日の記事。 当事者になるつもりがない人
あらためて、当事者という言葉に向き合わなければと思います。
本当に自分の立っている場所は、あっているのか。
誰のために、誰のためになったつもりでここにいるのか。 ちゃんと相手を見ていたいです。
誰が、今、自分の向き合うべき相手なのか。
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