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外へ もっと外へ 広がり過ぎました。 少し違う視点ですが、またまとめてみようとし始めました。 「修正力」という言葉。 多分意識し始めたのは何年か前に体操・内村選手の演技の話をTVで見てからだと思います。 しっかりとした着地をするために演技、回転の途中で修正することが大事だと。それであの綺麗な着地があるんだと。人に言葉で伝えようとするとなかなか伝わらなくて悩むし、もしかしたら間違っているのかもしれません。 勘違いされるかもしれませんが、もともとの軌道に戻すことだけを言っているわけではないということ。 発展的に違う方向へ進むという結果もあります。「反射神経」の方が適切かもしれません。 カッチリやる現場もあれば、臨機応変という言葉が多い現場もあります。 いずれにせよ、そういう「動き」が起こせるのは軸や芯がしっかりしているからだと思います。 それ通りやれば全てが上手く行くことなんてまずなく、カッチリといっても幅を持って動いてると思うのです。 そしてカッチリやれるくらい軸がしっかりしてるからこそイメージという幅がどんなに広がっても成り立つのではないかと。むしろその遠心力みたいな力強さも兼ね備えてるのではないかと。 ケースバイケースと自由は違う。 大事にしなければいけないポイント、こだわるべき場所ってやっぱりあるんです。 もしなんでもありなら、なんで枠があるのか。 イメージを持った幅やそれぞれのポイント自体がが変わることもあります。でもそれは軸があるから。 思っていたよりももっと幅の遠くへ置いてみると変わる景色があって。 その景色の理由を考えてみる。すると感覚の中でも実は次の発見への手がかりになる。 あれもいい、これもいいは何も考えてないだけ。 会話しているうちに自分を整理できたりするように、後付けの理由でも構わない。そしてそれに意味がなかったという結果もあり。すごく感覚的ですが。裏付けされた無意味はすごいんです。 ここ数年で、芸術で大事なのは「受け手」なんだろうと思うようになりました。 言い方悪いんですが、簡単に言うと「どう思ってもらえるか、もらいたいか」を考えることはほとんどなくなりました。逆に偉そうにも、乱暴に「何かを感じてほしい」と思うことが増えました。芝居にしても音楽にしても、光を出すことで相手の向こうに影を作る。 反応もまた自分に返ってくる。自分もまた受け手であるのです。だからちゃんと光らないと反射してくれない。 自分が光を出したはずなのに自分にも影が出来てしまうなんて面白くないですか? 見つめ直す時期 書くこと 歌を通して、音楽は会話という意識を持つようになりました。 だから歌詞に並べるのは意見や気持ちなんだと。 これを言ったら目の前の人はどう思うかなっていうのと同じレベルで歌詞を選んでいるつもりです。 それでもコミュニケーションだから相手の反応は必ずしも予期したものではありません。だからケースバイケースで面白い。 ただ、選んだ言葉だから、それを言ったあとからあれこれ付け加えたり、今の無しみたいなことをやってしまうと信頼に関わります。 歌に限らないです。 例えば生活の中の様々なサービスもそう。 システム化する意味。 ミスを減らして作業効率を上げるためとか、全ての人に満足してもらいたいとか。 多分無理なんじゃないかなと思います。だってどちらも「人」だから。 じゃあシステム化するメリット。僕には、振れ幅広げて、巻き込む力を強くするための軸を太くすることのように思えます(言い方しだいですけど、笑)。どんなに元のポイントから遠くに置いてしまっても、それすらを良しと出来る修正力(発展力)が働く。 人が作って動かすサービスだからコミュニケーション。平均値を常に求めることはないと思います。 だから良くも悪くも期待を裏切ることが面白い。期待を越えるということは裏切れたってこと。いつもより余計なことをした結果。悪かった場合、サービスとしてはクレームでしょうけど。 ただ何が誰にとって良いことかを考えた上で期待を裏切るのなら、すごくポジティブ。失敗したら考えればいい。 逆にいつまでも成功体験を検証してシステム化しようとしてもそれこそ無駄かもしれません。 相手の反応だってこちらを裏切ることがあるから。成功しても失敗しても「運」とか「偶然」の要素はあると思います。 失敗にもそれがあるわけですが、僕の場合、失敗の方が自分を見つめ直しやすい性格でしょう。成功にそれを求めると多少自信はつくけど多分たどり着くのは桃源郷。 スマートになってもスリムになったら負け。 だから無駄を省くんじゃなくて、無駄すらカバーできる何か…って考えたら結構楽しいのかもしれない。 受ける側だけでなく、作る側も感覚が計算を超えたところに感動があると思っています。 安定がいけないとは思わないし、安定と裏切りはバランス。 例えばCDとライブにそれを感じられるのではないでしょうか。 一度音源にすると、感動は次第に裏切らない安定に変わります。その曲を聴くと自分がどうなるか、逆にどういう自分の時に聴きたい曲なのか。 CDとライブの違いはそういうところにもあると思います。知ってる曲を更に裏切ってくれるなにか。アレンジとか曲順とか、空気感もそうです。 CDが売れなくなったからライブを頻繁にやればいいっていうのは考え方として難しい。そもそも求める先が違うから。 CDはパッケージにした作り手が(多分イヤホンで聴くリスナーにも)誰にも邪魔されない「作品」。自分とそれとがただ向き合うだけの静かな時間。 安定したものから変化が生まれるのは時間かけて気づかないうちに自分が変わったから。 昔のCD聴いてみようと思うのはそういうことのような気がします。聴き方が変わる。 いろんな話を絡め過ぎました…話を戻します。 僕の場合、軸とかイメージがしっかりあるとモチベーションが上がります。 自分がモチベーションに左右されやすいのをよく知っているから、その時その時のイメージが何となくでもちゃんと持ちたくて沢山話をしたがります。言わなくてもわかればそれでいいんですけど(笑) とは言っても理解できないことは世の中沢山あるわけで、それだけは本当に悔しい。生理的に受け付けられないものはどうしようもないんですが、例えばぼんやりゴールは同じだと気づけても歩き方が歩く方向が違うこともあります。正反対に進んで地球の裏側で会いましょうとか出来ないとき(笑)なるべく並走したいわけです。 ポジティブに、多分それはものすごい幅を持っているんじゃないかと思ってみます。今自分は遠心力に振り回されてるままだと。 (…今気づきました。大型台風来てたからそう考えてるんですね、きっと、笑) その強い遠心力に負けて飛ばされないように、そこから軸を見れるようにどうしたらいいのか。まだまだ課題。]]>