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何年かぶりに尾崎豊の本を読もうとAmazonで探して買い漁りました。 合わせて奥さんの繁美さん、須藤晃さんの本も。 そして改めて彼のCDを聴く。 受け止めるところから理解するところへ、また踏み出す。 2、3年前に、彼の小説と父親が書いた本を読んだことがありました。 読み終えたのち、彼の死後に周囲にトラブルがあったことを聞きました。 そしたら急に、たくさんの人が書いた「尾崎豊」を読むのが怖くなって、それ以上踏み込む勇気がなくなりました。 いつ誰が自分寄り(著者寄り)の話をしているかもしれない。 近くも、同じ時を生きていたことを記憶にない僕にとって、 それは一種のマインドコントロールを強いられている気がして。 その中で自分の答えを出さなくてはいけないのではないか? そしたら急に気持ちが落ち込んで。 それがたまたま自分の生活や人生にも落ち込んでた時期だったもんだから、 もう息苦しいのなんのって(笑) タイミング最悪! それからは歴史全般、知ることに嫌気がさしました。 他の「~史」も結局そういうことか、と。 現代史も、9.11なんてすぐ最近のことですら少し経てば別の事実や見解がでてくる。 じゃあ今目の前で起きていること、この目で見ている物って何? 一度に全ての情報を認識、理解することは不可能。 理解する努力とか時間とかかからなくなったら、それはそれできっとつまらない人生なんだろう。 でも、でも…! 何の疑いももたず、 目の前のことやアナウンスされたことを信じてしまうのは…。 じゃあアナウンスされてるニュースって? ・・・ ・・・ っていう(笑) でも今は、 判断するために、疑うために、 知らなくてはいけない。 どんなに時間のかかった事実も嘘も。 単純で当たり前のことなのに、 理解するのに時間がかかりました。 頭悪いから(笑) なんて薄っぺらい今を生きていることになるのではないか! と思って本を読む。

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