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  なかなか美術館へ行ってじっくり作品を観ることがなかったので、なんというか圧巻。 一つひとつ絵の前に立ってじっくり見つめると、不思議な感覚。 風景画だったり人物画だったり、作品のテーマや作風、技法(って言っていいのかな?)は全然違うんですけど、印象というか、それぞれの作品の前に数十秒から数分立ってるわけですが、その間に入ってくるもの、ストーリーだとか客観的な何かを感じるのって新鮮で。   ほら、僕美術に関しては無知でしょ。(知るか、んなこと。笑) 音楽をやっていて、お芝居にも縁があるので、どうしてもそれらに関しては基本的に解析癖がついてるんです。 なんで今あんな歌い方やしゃべり方したんだろう?とか、あのコード進行とかメロディ良い!とか。 だからもちろん感情的に観て聴いてるんですが、同時にもう一人の批評家みたいな冷静な奴いるんですよ。(これはみんなそうだと思いますが) だから絵画を観て、あの書き方はどうのこうのなんて技術的なことはわからないもんだから、パッと観て好きか嫌いか、すっと奥まで入ってくるのかこないのか、それをじっと見つめて自分の中でストーリーつけてっていうことが楽しいし、疲れる(笑)。でも作品から出てくるそういうのを受け取る一方ってのがおもしろい。 逆に美術に詳しい人たちがゴロゴロいて批評をし始めるもんだから、聞こえないように必死だったけど!   人がその作品を見ているとき、作者がその場で出来ることはなにもない。長い時間かけてたくさん想って考えて創作したその作品と作品のタイトル以上に説明的なことは出来ないし、する必要もない。形は違えど、音楽もそうだと思う。 そういう素直な感覚でものを見たのが久しぶりで、なんだかハッとした。 魅せる側が魅せられる人たちに説明的になってはいけないんですよね。様々なバックグラウンドを持ってその場へ来て、もちろん口で事細かく言うわけじゃないですけど、彼らに伝える「表現」の中になにか説明を強制してしまうんではなくて、そのままでいい、というか。それぞれのイメージや幻想を作者がまとめることなんてしちゃいけない気がする。もちろん言葉が操られる特に本や芝居、時に歌詞に制限のある歌には、実態化できる共通語として伝えたい軸から大幅にずれることはないと思いますが。それでもそれ以外の「遊び」はむしろ逆にあるのかも。   こういう話自体が感覚的なことだから話すとむずかしいなー。   もちろんこれはあくまでも僕の感覚なんですが、もっとそこに磨きをかけていきたいな。   あーおもしろい!また観に行こう! ]]>