ページを選択

この3月はしばらくは何もしないでぼーっとしなさいと言われました。 大先生から言われたので、大人しくしてみてます。

色んなことを考えれば、ここでぼーっとするということはとても深いことなんだろうと、 でも流石にひと月もそんなことは出来るはずもなく、とりあえずこの1週間は自由に動き回って、会いたい人に会って、もうネタ切れです。

ぼーっとするってなんでしょう。 外でゴロゴロして空眺める時はたしかにぼーっとしてるんですが、あれをずっとはやっていられず。 っていうか今考えると、なんでお酒飲むと外で転がりたくなるんでしょう(笑)日記とか遡ってみようかな… しかもこの季節。公園とかで空眺めてぼーっとしてたら、おそらく小1時間もあれば、死因、花粉。 2時間後には花が咲きそうです。

でもせっかくだから、色んなことを「再構築」していきたい。 ある物事にもう一度ぶつかるとき、それを同じことだと思ったことはなくて。 その点にぶつかる角度も出て行く方向もまるで違う。から同じことの繰り返しってことはまずない。 前もどこかに書いたなぁ。 例えば上から見たら円でも横から見たら螺旋状だったり、 それよりもどちらかというと、なんの規則性もない動きをする線が偶々同じ点を通っただけと言うか。

物事の考え方もそう。 右か左か、超極端にはなかなかならないけど、さらに上下もあれば前後もあると思ってて。 例えば最近の日本が右傾化してきたなんて話も、 「あの人は右前だよねー」 「この人は左下ぽいね」 てもっとなったらいいのに。そしてそれぞれに「中間」とか、「やや」が存在する。 この前友人と飲んでて、なんか良い言葉にまとめてもらったんだけど…えっと、空間的なんちゃら?(笑)

自分の何かを作る時ももちろん、そして誰かの作品の中にいることの難しさってずっと考えてきたけど、 じゃあ自分じゃなくてもいいじゃんって思いたくないから、自分にしか出来ないことを必死に考える。 かといって各分野が際立っていてもバランスが悪ければガチャガチャして共存は難しい。 言いなりになればいいというわけでもない。ギリギリのところで監督を越える部分があるのがいいんだろう。 割と当たり前のことなんだけど、図に描いてみるとこんなかな。

作者の考えの範囲内で収まってしまうことはどのポジションにいても悔しいもの。でもてんでバラバラに明後日の方向に行くことはしっかり締めないと作品でなくなってしまう。監督っていうインナーマッスルか!\(ちょっと違う。笑)/

自分の創作においてもそう(一人で作るから)。曲が頭の中で流れる時って言うのはだいたい、既成の音楽を聴いてる時のようにしっかりフルオーケストラで流れている。編成も決まってて。 じゃあそれを弾いてみたり打ち込んで行って実際音にすると違うこともある。このままでは作品は自分を越えないし、作るのが嫌になってしまう(笑)

最初に書いた大先生にはこうも言われました。

「もっと外に。外側にむけて」

そういう意味でおっしゃったかどうかはわからないのですが、 自分という「監督」より少しでも大きな「作品」に出来るように沢山の物事に触れて、考えなければいけませんね。

ものづくりに限らず、社会にいるということも似ているのではないでしょうか。 とかなんとか偉そうなことを「ぼーっと」考えてます。

]]>