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変なプライドだと自分でもわかってること。 それは演奏者と観客のちょっとした勝負なのかも? たまにクラシックコンサートの仕事にスタッフとして行くのですが、仕事上、リハーサルにもいなければならないことがあります。 僕、演奏する立場でない時のリハーサルが好きではないんです。 知りたくないことを知ってしまうから。 音楽を感情として聴き手に伝えたい、と思っているからなんだと思いますが、 演奏者以外の人に演奏以外で伝えてしまうことに若干の敗北感というか、感じてしまうんです。 もちろん曲の背景だとかいきさつを話すのはいいんですが、細かく説明しなきゃ自分の音楽は気持ちは伝わらないのか!って。 リハーサルって演奏者たちはそういう細かい話し合いをして気持ちを、曲を一つにする。 それは素晴らしいこと。 ただそれを一観客(勝手に。ホントはこの時スタッフだけど)が知ってしまうのはつまらないと思うんです。 演奏を通して伝わったことが全てだと思う。 違う解釈があったとしても、そのまま受け止めてくれるならそれでいいというか、 伝えきれない自分の責任というか…。 で、ちゃんと伝えるための新しいアプローチを演奏する。 もちろん、リハの話を聞いて、 「あ、そうなんだ!」 と思うこともあって、本来関係ない立場なのに、勉強した気にはなるんですが…。 でも、自分が本気でその曲を知りたいと思ったら、勉強して聴いて、そのとき(聴くとき)見つけられることが楽しいと思うんです。 そもそも演奏者によって違う演奏になる訳ですから。 同じ話をどう話すかってことかな? だから僕も練習やリハーサルを人に見られるのが大嫌い。 創りあげてく過程ほど醜いものはない。特に自分は。 だって混沌とした、中途半端な時間だから。 そんなみっともない姿を見られたくないし、そこで何かを感じて欲しくない。 ライブなどでみせる形だってホントは完成なんかしてない。 そんなこと言ったら完成することはないんですが。 完成するってなに?(笑) ただ、そのライブに演奏に向けて、都度何か一つの形を求めるから、近づくアプローチはある。 そんな屁理屈22歳(笑)

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