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そう思ったこの1週間。

すごくプライベートな話なんですが、 離れて住んでいた祖母がずっと危篤でした。 老衰で治療をする体力も残っていないと。 寝たきりの祖母とその隣で祖父が椅子に座って一緒にいる風景。二人とも笑っていました。 残された時間に、皆が全てを知っていて、誰も何も言わない時間。 それでも見ると温かくて、何も言わず祖母をジッと見つめる祖父に倖せを教わった気がしました。

ほんの数日前、一緒に住んでいる祖母が脳卒中で倒れました。 処置が早かったので大事にはいたらず。 ひとまず入院ということで、病院をあとにした瞬間。

危篤だった祖母が亡くなったとの連絡。

到着すると同じように寝ている祖母の隣りで静かに座っている祖父。 まるで何色かのフィルターがすっと入ってきて、まるで違う風景。

支えなければいけない。 しっかり心の準備をしなければと思っていたのに。 どうしていいかわからなくて。 連絡とかしっかりしなきゃって思ったり、込み上がるものを抑えられないでいたり。 グチャグチャ。

最期まで、もしかしたら最期とかって思うことじゃないかもしれないけど、祖父と祖母の優しい時間のために。

火葬場での最期の別れの時間。またフィルターが邪魔をしてるのかなって思った。 祖母の隣りで車椅子に座ってジッと見つめていて。

同じような光景で、でも空気も表情も、もちろん気持ちもちがう。 不思議だな。

今思うと夢だったかのようにあっという間に全てが終わり、 ちゃんと見つめていたいと思った時間も記憶に残っているのだろうか。 もし今は記憶に残っていないと思ったとしても、きっといつか整理出来るのかな?

全部そう。忘れたくない。 「ふるさと」の一言目が今でもずっと。 でも忘れたくない。 どうやら永遠の課題みたい。

昔、ずっと一緒だった愛犬を亡くしたときは中学生。 でも今は大人になって志事をしながら。しかも本番直前の出来事。

相棒が言ってくれた。沢山考えちゃうから、忙しくして今は考えないように神様がしてくれてるんじゃないかな。

それでも堪えられないものがいろんなところにあって。 行ったり来たりしてた感じ。 沢山フィルター使ったかな。

でも「疲れた」って言葉だけは言わないでいた。 二人の最期の別れを疲れただなんて言いたくないし、思いたくない。

こうやっていろんなことを想わせてくれて、倖せを想わせてくれる二人の血をひいていることを誇りに想う。

役者とかアーティストって感情を表現するために感受性豊かみたいに言われることあるけど、 今は感情をセーブするための反動じゃないかなって少し思う。 今はそうであっていい。

落ち着かない。 わからない。 なんなんだろう?

こうやって書いててもいろんなフィルターが差し替えられながらなのかな。

ホントの素直ってなんだろう。

こういうのが考え過ぎ?

ただ間違いないのは、

ありがとう。

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