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少しずつ自分がそこから離れていくのを感じています。 これこそ最大の不謹慎だと思います。ごめんなさい。   その代わり、パキスタン、エジプト、リビア、シリアなどの問題の方が僕にとって深刻度が増してきています。   震災関連に関しては、皆が向かう方向、見ているゴールは同じだと思うんです。「天災」でも「人災」でも議論して、(責任問題はわかりませんが)向かう方向は。 それは僕らが同じ「日本人」だということが何よりも。   でも、中東情勢において他国との関係は政治はもちろん「思想」「宗教」といった、話し合いなんかではもしかしたら決して解決しないところにあります。 僕からしてみれば「人災」、もはや「神災」。   神仏の存在を信じるか信じないかは、自分の中にはっきりしたものはありません。 長年キリスト教の学校に通っていましたが、聖書は本、宗教は一つの道徳として受け止めてきました。 仏教にしても同じ。 それぞれから自分に必要なとこだけをかいつまんでいる、卑怯者です。   その道徳は人のために向けられるべく受け取っているつもりなので、それぞれの深い信仰心のためにおきる命のやり取りが理解出来ないのです。   卑怯者だから。   神を信じられるくらいの道徳をもって、人を信じることに向けるべきだと思うから、やれテロだ、やれ戦争だ、報復だ、聖戦だ、の思考回路がどうにも作れない。 ましてやそこに政治が絡むなら。 そう考えると、みんな信仰心が深いんだか、ひょっとすると僕みたいにイイトコ取りの卑怯者なのかもしれませんね。   それなら宗教なんてまっぴら御免だぜっ!っていう極論に達せないのは文明文化の中に深く密接して今があることは事実だから。   これは考えることなのか、自然の流れなのか。]]>