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せっかくブログにまとめたつもりでも、そこで完全にひと段落出来るかっていうと、そうではない。途中経過にすぎないのは善し悪し。

前回の記事の図の補足をすると、各セクションのクオリティや個性が監督の輪から少しはみ出すことによって確信犯的に予期せぬ深みが増し、監督自身よりも大きな作品のなれるのではないか、という意味で書いたのだけれど、 それでも監督がある程度コントロール出来る「誤差」なんだと思う。 つまり、作品の主体となる人物の輪や引き締め具合いが作品の大きさを決めるのではないか。

さて、その一回り大きくなった作品が受け手の中に入る時、どんな大きさになるのだろう。 おそらく、前回記事の図にあるABCDのような感じではないだろうか。その人にとってその作品が全てではないから。 と言うと、監督(この場合は受け手)よりはみ出す前提で話をしてしまっているが、ぜひはみ出して欲しいのだ。 というか、はみ出させるものづくりを常に心がけたい。

「作品を受け止める」という行為にはパッと思いつくのは2通り。 1つは隙間や穴を埋めること。 わかりやすく、落ち込んでしまったり傷ついてしまった心を癒すようなこと。どこかで自分をフラット、もしくはおおよそプラスに向けることが出来る。

もう1つは大きくなること。 自分のキャパシティからはみ出す何かが、何かしらの成長に繋がる。 はみ出してしまった何かと向き合って考えること。

「埋める」というのは大前提。

埋める他にも傷をつけたいもの。その傷を癒すために考える。 時間に任せるなら、それでも。きっと気づいたらそれをも吸収して一回り大きくなる、と思っている。 それか、一回り大きい存在が「作品」であったなら、それは奇跡だ。

まずは自分よりもっともっと外に。

そして、受け取る誰かも外に広がることが出来たなら、いいね。

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