ページを選択

佐村河内氏の件、新垣氏の話を見ても、まだ途中ですが佐村河内氏の動画を見ても、「はぁ、そーなんですかぁ…」ってところから全く自分の考えも感情もまとまらない。 興味ない訳でもないんですが、途中から結局

「誰が弱者か」

を当人間と、見てる私たちそれぞれの間に別次元のそれが戦ってるだけに見えて飽きてしまう。もちろん何が事実で真実かを明らかにするためにやってるわけで、馬鹿にしてるわけではありません。

ただ、少し離れて見て、 人の感情がどれだけ「かわいそう」を見てるにしか感じられなくて。 皆が喋り出すとあぁ、もう、めんどくさい。

もちろん悲しい想いをするより、みんなが幸せに笑顔でいられるのが何よりで、そのために少しでも力になれたらと音楽作るし、表現したいし、私生活だからといって変わることなく、そばにいる人たちのために全力だしたいと本気で思う。

信じてたのに裏切られた人たちかわいそう? かわいそうを決めるのは私じゃない。 それにそもそも「障碍をもった人」という目線で食いついたから大事になったのは事実。

作品の背景を知って、作品の理解を深めることはいけないわけではないし、そこから新たな発見に繋がるならむしろ良いのだと思う。

色んな意見が出てた中で、私は「それでも素晴らしい作品だ」と言った人たちに近い。

私自身、流行りには疎く、そもそも天邪鬼なところがあるからっていうのもある。 割と鈍感なんだろうなと最近思い始めました。 誰かの、特に良くない出来事には直ぐにいい言葉をかけてあげられない。 素っ気ないかもしれないけど、「そっか」ってしか言えなくて正直困る。どうやって同調してあげればいいのか、病気かってくらい迷う。 だからいきなり励ますのも難しい。

「かわいそう」

かどうかは、判断出来ない。 一般的とか、自分の場合としては言えるけど、面と向かってはなかなか。

そういう時はなんて言ってあげられたらいいのでしょう。

あまりにもかけてあげられる言葉が見つからなくてやってしまう時もあるけど、自分や誰かと比べて元気づけるのはあまり好きじゃない。 相対じゃなくて絶対値で判断出来たらいいなとばかり思う。

佐村河内氏の会見だけ動画で見ようと思ったのは、最近目にする活字量が多すぎて、書いてる側の空気とか、書かれてる側の空気とか読み取るのが難しく感じて、なかなか自分の中に答えを見つけるのが困難になってきたから。動画で見れば文字とは違う受け入れ方をすると思ったから。

口話法でしたっけ?それについては無知だし、耳の件も科学的にも感覚的にも私に分かるはずもない。

何を期待して見たんでしょうね(笑)

最近は 「誰が騙した」 「誰に騙された」 の争いばっかで何だか疲れる。

誰がかわいそうかわからない。 ただ少なくとも、関わる人の応援をしたい。

人の話を信じないわけじゃなくて(笑)自分の目で見て聞いたところから始めたい。

本来感情論では無いのですけどね。 なんでしょう、気持ち悪くて整理付かないッス。

『明日、ママがいない』 を観ても。 わからないんですよ、議論されてる場所から自分が遠すぎて。ものすごくシビアな問題も含んでいて、「もしかしたら?」を思うことと、それを決めつけないようにしなければいけないことと。

ただ、…だから、かな?それでも現場で役を演じている俳優たちがスゴイと改めて思いました。 倫理的にももしかしたら自分たちとは正反対の役を、ギャラとかの話ではなく、演じているのですから。 それだけ人間として、感覚、感情、知識も技術も含めて幅を持っているんだろうなと。

スゴイんだな。

]]>