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  大相撲八百長問題。 ワイドショーなんかで「八百長と人情相撲の境や定義が難しい」のような会話がちらほら出てくるのですが、僕にとっては割と簡単な話。 「人情相撲」って言葉も流行れば随分と女々しい相撲に見えてきそうですが(笑)、別に段取りも何も無しに、一瞬勝負とは別に相手のことを思ってしまったがためのスキをつかれて負けてしまったような、こてもまた言葉にすることはすごく難しいのですが、人それぞれであって気持ちの問題だと思っています。 それについては舞の海さんの意見に近い。 asahi.com(朝日新聞社):「真剣勝負だけど、人情相撲だってある」 舞の海さん – スポーツ 「残さなきゃいけない」わけではないけれど、人として起きる迷いだということでしょうがないことだと思います。   じゃあ今回の八百長問題の何が悪いのかは既にはっきりしていて、「欲」のために組織化されていたことのみだと思います。これは「真剣勝負」というところから完全に離れてしまっている。   スポーツにおいて「人情が~」って教える必要も全くないけれども、勝負の中でそういう心の動きをどう捉えていくか、考えていきたいです。       震災報道。原発問題。 メディアは既に飽きているんじゃなかろうか。 どちらにしても動きが極端すぎる。   「自粛」「他粛」「不謹慎」「不謹慎廚(笑)」 論点がここで盛り上がり過ぎていることに不快感。 被災された方々のために何ができるか、何を思うか。 それぞれが考えた末の意見に対して「批判」が起きるのはなぜだろう。   「被災者のことを思って何かする気になれない。」   しょうがないこと。   「彼らが前を向いた時の為に経済をとめちゃいけない」   頑張りましょう。   全部間違いじゃないと思います。 一つひとつの気持ちの理由を他人との間で求めてることが、なんだか心地悪い。 なんだか機械化されて整理されてる気がしてしまう。   「過度な自粛はやめて下さい」っていうことも変だし。   昨日のニュース番組?で 「世界の人は自粛をどう考えるか」的なアンケートを国ごとに調査。 ・・・超どうだっていい。 こういう気持ちが国単位でどうこう言われてくくられることがおかしい。 本当に「個人」の問題だと思うんです。     それぞれがどう感じて、どう思って、どう行動するか。   全員がバラバラに明後日な方向に向かわないよう、ある程度考えのもとにまとまって動くことも大切だけど、それが今の状況として受け止められるかはわかりません。]]>