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これは一度目を通して欲しい内容だと思います。

佐々木俊尚氏  クリエイターの作品を政治的発言込みで受容できるか問題

世界の終わりに

私が音楽家の端くれとして疑問なのは、声を上げて政治や社会を語る音楽家・表現者・クリエイターは、やはり反政治が大多数。 そういう人たちに限って「多様性・民主主義」を訴えるのです。 不思議です。

私は渋谷ハチ公前で毎日広げられる演説やデモが嫌いです。手段は正しく使わないと暴力です。

ある日イベントをやっていました。 彼らがパフォーマンスした後にこう言いました。 「平和の反対は戦争じゃない、断絶だ」と。

そんな気がしました。 でも、その周りにいた人たちの中には安倍総理の顔に凶器をつけた絵を持つ方もいました。

これは断絶ではないのですか? 仮に戦争を支持していると思う相手を傷つけることは「断絶」ではないのですか?

断絶は戦争を含む気もしました。

「伝える」ということは自由と責任があるということは浸透していることでしょうが、何をどこまで誤解されても良いか、表現者は間違えてはいけないです。どうかもっともっと計算して欲しい。 簡単な言葉で何かが間違いなく伝わる可能性は、低いです。 本当は沢山、いろんな言葉でどう相手が理解してくれるのか、一生懸命尽くさなきゃ無理だと思います。

だから私は大切な人とは沢山話します。これが自分のやり方なだけかもしれないです。ですが沢山話して、いろんな言葉を模索して、その中で見つけた発見がお互いの理解になるかもしれないし、結果、もっと好きになると信じて。

私は別に反政治がいけないとは思っていません。正した方がいいことはたくさんあると思います。ただ、政治というシステムの中で生きているのなら、落ち着いて利用すればいいとも思います。今の政権が嫌なら反対する政党を必死に応援して引きずり降ろせばいいじゃないですか。それに我々国民が考えるほど安易なものではないはずです。デモで政治が覆るような政治は衆愚政治です。国家としての力がないことを意味します。それを選んだのは国民です。他国でデモにより政権を倒したのは独裁政治だったから。選挙なんてないんです。

音楽は芸術です。音楽は娯楽です。 いずれにせよ心動かす力を持っていて、その内面には作者の思想があります。 でも、文章で言葉で説明しなきゃならないのなら作品は不完全ではないでしょうか。作者がどういう人物だから生まれた作品。知りたいと思った人が調べて見つけて考える。わかる。わからない。それもまた作品の魅力かもしれません。 タイトルと作品から導いたそれぞれが、それぞれの答えで、後付けのガヤは押しつけと思ってしまうこともあります。 だから例えば作者がこの世にいない音楽がいまだに世界で様々な解釈のもと演奏される。

答えは一つではないということ。

そう、ここには解釈の多様性があるにもかかわらず、社会に目を向けるとそうはいかない風潮。一番多様性を信じるべき芸術家の一部は暴走を始めます。

少しだけお話しすると、集団的自衛権を違憲とするならば、そもそも自衛隊の存在を議論するところから始めなければなりません。憲法解釈を云々言われる方はそこから始めていただかないと話になりません。 そして、それを通り越した次元で議論するならば、日本を守っているのはアメリカだということ。日本が戦争しない国・出来ない国とするならば、何に怯えて「仮に攻められ」と跳躍するかはわかりませんが、だとして代わりに命を懸けるのはアメリカ人です。にもかかわらず、基地は作るなというのもなんなんでしょう。「守ってくれ、ここにいるな」?

随分ひどいと思いませんか。

戦争を経験した世代ではありません。経験した方たちが感情的になるのはしょうがないと思います。だからこそ経験のない私たち世代は落ち着くべきです。 安倍総理もそう。経験のない人がなぜわざわざ人を殺そうと思うのでしょう? わざわざ攻めて国の利益や国民の信頼をどうしようと言うのですか? 敢えて極端に話せば、彼は人を殺したくて彼の何十年という人生を送ってきたというのですか?それともどんな心境の変化が戦争をしてもいい、という所に向かったと思いますか?

私はそんな風には思ってないと思います。

戦争を知らない世代。だから戦争に向かってしまう可能性と考えてしまうのはおかしいと思います。 そもそも集団的自衛権=戦争自体が安易だと思うのですが、仮にそうだとして反対の立場をとる方たちも戦争を知らない世代です。知らない世代が戦争を望んでいないじゃないですか。

全てを簡単に「=」にするの止めませんか?

「≠」

そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。 ディベートは議論はそういうありとあらゆる可能性の中から解決を目指すための方法。 自分が議論しているのか、押し付けているのか、もっと考えて欲しい。

私はいわゆる「歌モノ」を書き、歌う人間です。まだまだ未熟です。 ですが、だからこそどれくらいの人に共感を得る・得ないのバランスは常に考えながら作りたいと思っています。そういう風になってきました。届いた人がいて、その人の中にその向こうにどう広がるかどう消えるのか想像してみたりもます。自分が演奏したとき、自分じゃない人がその曲を演奏して自分がそれを見たとき、自分もどう思うのかなって想像してみたり。まぁ、想像なんですけど。 お金を得ることも生きるためですからもちろん。ただ根底にあるのは、 受け手主体の音楽である以上、どんなバックグラウンドを持った人にも、それぞれのストーリーがその曲の中にちゃんと生まれることが感動だと思っています。 自分の「答え」を軸にしてその曲の幅をしっかり考える。感情的にもそうだし、感覚的にも計算して言葉を選ぶ。

相手のために言葉を選ぶって大事でしょ。

過去には政治に対する発言をだいぶした気がします。 ですが、それを止めてしばらく経って、これでいいと思うようになりました。 またしばらく発言は控えます。

叩かれるのが怖いのもあります。 ただそれよりも…

疲れるし、寂しいんです。

メディアを通してみるのは殴り合いばかりで。 分野外のことは専門家に任せて、それを判断するために自分なりに社会を見る。 政治のシステムを利用して賛成・反対をする。いち国民として。できれば音楽を利用したり理由にしたくないし、音楽家としての立場もそうしたくない。 専門家が上手く伝えられるかってのもだいぶ重要なんですけどね。

それよりも、私がやるべきことは、何かにつけて賛成反対のどの人たちにも癒しを提供できるような、そんな音楽を日常と非日常の間にそっと置けるように活動していくことかなと。だって振り向いてホッとしたいところもそんな音楽ばかりだったら嫌でしょ。今思う理想的な「共感を得る」ということは、みんなの気持ちをまとめることではない。いつのまにか惹きつけられて通じることだと思うのです。

だから、そんな活動をを今は続けたい。

デモ段階ですが、久しぶりに2曲公開します。

『新しい朝』

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『憧れ』

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