ページを選択

時が経つにつれて情報が細分化されていくのに、その分岐点や経路を注視出来ないがために、自分なりの結論へ辿り着くことが困難に。   結局まとめられた媒体からそれなりの情報を大体得る。   それなりに。大体。   受け止め方はだいぶ変わったってことかな。 ただ、まとめられたと言えど、その配置・配分に対して自分で調べて補足理解していく。 決して一面記事が事の大きさではないと思うから。気になった記事が収まりのいい場所にあるだけと思って、調べたり家族と議論する。   特に震災以降、「リテラシー」という言葉を口に、目に耳にする機会が増えた。 情報リテラシー。メディアリテラシー。   小学生の教育現場にもメディアリテラシーなんて言葉は出て来てるのだそうな。 大人でもこれだけ大変なのに、どうやっているんだろう。 風評被害は減るのかしら?? それ以前に教育(者)リテラシー、なんてね。   こう考え始めるとキリがないもので、思考の経過を中略すると、 結果、教育とは洗脳だ。なんてとこまでいけてしまう(笑)   じゃなくて。   メディアってあくまでも第3者なんですよね。 相手・情報・事実と自分・受け手・聞き手。 それでいながら人間だから主観が必ず入る。さらに記事の報道の枠がある。 なんだかふわふわした世界に見えてくる。 また活字や口から出る言葉になった時、放った時の微妙なニュアンスは急速な広がりを着地する。その言葉に対するニュアンスの範囲が人それぞれだから。   風評被害を沈めるために出て来た「正しく理解」ってなんなんでしょうね。なんて簡単な言葉だ。]]>