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『空気の構造』も読んでみたいのですが、立ち寄った本屋に見つからず、『メディアの仕組み』購入。

問題の何にしても、どちらの言い分の中に「同調圧力」がある。なんででしょう?捉え方の違いですか?すれ違いですか?

これだけみんなそれぞれだとか自由だとかが当たり前のように聞こえてくるのに。 偉そうに言いながらも僕の中でもそれを気にしてるのは自覚してる。無くせば正解かはわからないけど、無くせるくらい振れ幅広げることが僕には必要だととりあえず思ってます。たぶん本当の真ん中見てみることなのかな。 「なんでもいい」が全てだとおそらく世界は壊れる。 言葉をするのに「僕は」とか「個人的には」ってつけないと「みんながみんなそうじゃない」みたい言われて叩かれかねないのは間違いなく同調圧力。

『レイヤー化する世界』にもかけらはあったと思います。昔を知りませんが、変化が激しい今の世の中だから、何に対しても変化の必要性の有無を考えることをなかなか放棄出来ない。 「昔が良かった」なんて言われたくないし、それはその時の全ての背景あってこそ。今をよくするために生きてるわけで。 何かにすがったり自信を持つことと、自分を疑うことも含めて考えることは並行してるんです。 いつの時代のたくさんの作品の中にそういうものが散りばめられています。作品は想いでもあり意見でもあります。 今の世界でわかるのは、出てきたもの全てではなく背景を知る術がたくさんあること。 同じ作品に繰り返し触れて感じ方が違うのは蓄積の結果。

「頑張れ」 もともと誰かの受け売りだった気がしますが、ここ数年発するのが難しい言葉の中の一つ。 頑なに張るんですから、相当強いパワーが必要なはずです。これを半ば投げやりな使い方はしてはいけないなと。 誰かに向けるとき「頑張ろう」とはよく言います。それは「一緒に」ですから。一人では無理でも二人、三人ならしっかりと張れるかもしれない。同じ力で持って自分も頑張るという意味でしょ? そういう意味では親しい人には「頑張れ」とも言います。おんなじ力でもってあなたを応援したいから。 もちろん「逃げ場」はあった方がいい(笑)

昨日「新型うつ」のニュース見て、友人たちと話をする機会があって、いろいろ気づかされました。 音楽や芝居をやるようになって、簡単に言えば「人と違うことをやりたい」気持ちと「同じでもいい」という気持ちは常に葛藤の中。答えは秒単位で変わる。 でも同じようなことを考えてる人がいるならいつか絶対「動く」。 そのニュースにもそう感じました。話してるうちに働く環境にも問題あるんじゃないかなと。当事者ではないので偉そうなことは言えませんが、その中でこれだけの人がそういう症状にあるなら、いつか動くと思うんです。

うーん、最近少しまた毒づいてます、すみません。

昨日と今日、サントリーホールで広上淳一さん指揮による三枝成彰さんのレクイエムに合唱で参加してきました。 オーケストラで正面から指揮者を見ながら演奏するのは多分初めてです。今まではスタッフでビデオ撮ったりでしたから。 指揮というダンスを見るのが最近の楽しみです。指揮者よ踊れっ!(笑)それを正面から見られる喜びと、広上さんの中にいるだろう二人目が感じられる楽しさ。 演目がレクイエムだからかな、余計なことたくさん考える。反動かな。

今日はルービー♪

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