伝えること

執筆者 | 2012年10月30日 | 日記

表現者ってなんだろうなあって考えることは、多分死ぬまでやめられないと思います。

何かの才能に突出してるのに、意外と私生活はグチャグチャだったりする人って少なくない。 それはそこまで全てを犠牲にしてでも突きつめる強さ、真っ直ぐさの裏返しだと思ってます。 すごいこと。

でも僕には出来ない。 そのことは常に迷うところだけれど、 何か一つを守りきるためにそばにいる人、周りの人を傷つけるのならば、それは嘘だと思うから。 僕にとっては。

だって誰よりも気持ちを扱う場所にいるから。

それにそばにいる人が悲しむとこなんて見たくないから。

演じる。

歌う。

気持ちを言葉へと紡いで表現すること。 でもそれは日常と何一つ変わらない。 だから突きつめることは日々を大切にすること。

そう、日常を大事にする。 やっぱりこれは僕にとって間違いではないと思う。

だから頑張る人を応援する。 支えてくれる人がいるから頑張る。

形だけで物事が進むなら、舞台はいらない。 常に誰かがコピーすればいい。 著作権も何もないフリー素材。

見極めなくてはならない。

それでお金もらって生きていこうとしてるんだもん。

カタチを求められるだけなら、ベッドの中で夢でも見てもらってればいい。 誰よりも自由であることとは、 即ち誰よりも責任を持つということ。

自分の言葉に。行動に。

どの現場に行っても、代わりならいくらでもいる。 でもその中に、それでも自分が求められるているのであれば、 それは日々が作り上げて来た自分を求められているからだ。

大切な過去、今。そして未来。 全てがその人を作り上げていく。

後悔はいらない。 反省して繋げていく。

不器用って言われた。 そんなことないと思ってた。

隠すのがヘタって言われた。 それはマズイと思う。

今はまだ、沢山の人を傷つけてる。 和歌山で話した傷とは違う。 舞台を使って傷つけたいのは、常にお客さんと一緒に考えたいから。 それと違うのは、ただの勝手ということ。

まだまだ責任が足りない。 自由でいられてない。

表現者ってなんだ?

始めに書いた、すごい人の例え。 成り立っていれば、でもそれでもいい。 ちゃんとわかって支えられる人がいるのだから。

でも、僕はいやだ。

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